ウガンダ殉教者大聖堂と殉教者の物語 こんにちは、ウガンダのレリアです。 今日は、ウガンダ殉教者大聖堂の様子をご紹介しつつ、ウガンダの宗教的な背景を理解する上で非常に重要な、ある歴史上の出来事について触たいと思います。 ウガンダ人の大半(82%)はキリスト教徒です。国のモットーも「神と国のために」です。 キリスト教は、ウガンダが英国植民地になるより以前、19世紀後半にこの土地に持ち込まれましたが、その時代に起こったある出来事が今でも語り継がれています。当時のウガンダは複数の王国によって支配されており、中でも最も強力なブガンダ王国が現在の首都カンパラを統治していました。この王国において1885年から1887年にかけ、キリスト教に改宗した若者(カトリック22人、英国国教会23人)が国王ムワンガの命令により処刑されました。 現在、カトリック信者が処刑されたカンパラのナムゴンゴという場所は聖地とされ、また国際的な観光地となっており、ウガンダ殉教者大聖堂が建てられています。 とても変わった形ですが、植民地時代以前にウガンダ人が住んでいた伝統的な家屋を模して建てられたものです。 6月3日は、ウガンダの殉教者を偲び、敬意を表する祝日で、毎年多くの信者がここへ祈りを捧げにやってきます。 教会敷地内にある湖。処刑に使われた槍などの道具は、処刑後にここで洗浄されたと言われています。 続いて、ウガンダの殉教者がどのように処刑されたかを示す像の一つ。槍で刺しています。 当時の殉教者の処刑方法は様々で、槍で刺したり、焼いたり、切ったりしていたそうです。 この像は、切り刻まれている様子です。 さて、今後もウガンダの様々な情報をお届けします。どうぞお楽しみに。アフリカの現地の状況に関するご質問、アフリカビジネスに関するご相談があれば、お気軽にお問合せ下さい。